自由旅クリエイター/ライター にじねこMiiのブログ

なりゆきまかせの自由旅が好きなライター。元バックパッカーで今は2児の母。人生を今よりちょっとだけ楽しくしてくれるモノが好き。Web媒体で旅や地域の魅力を発信したり、取材記事を書いてます。お仕事も随時募集中♪

ことばのちから

最近、スロージョギングなるものを始めました。まだ10日ほどですが、雨でなければ毎日30分位走るようにしています。

 

正直、長距離は苦手なので、今までただの一度も自分から走ろうと思ったことはありませんでした。でもスロージョギングは、おしゃべりできる程度のスピードで30分くらい走ればいいので、始めるハードルもちょっと低くなったのです。

 

実際走ってみると「あれ?私案外走れるじゃん!!」という感じ。そしてさらに驚いたことに、「走るの意外とキライじゃないかも・・?」自分でもびっくりです (゚o゚;;。

 

それはさておき、走り始めた目的のひとつに、あわよくば身体を少し引き締めて、体重もちょっと落とせたらいいな〜、という願いももちろんあるわけで^_^。でも数日前に量ったら、始めた時より2キロも増えてたんです!

 

始めてからすぐは筋肉がつく分重くなる、なんて話も聞いてましたが、2キロも増えるか・・?そんな気持ちもあり、ちょっとTwitterで呟いたところ、何人かのフォロワーさんが声をかけてくれました。

 

「続ければ痩せますよ。」とか「これからこれから。」など・・。ちょっとした一言ですが、なんだか応援してくれてると感じ、うれしくて、「長い目でみながらがんばろう!」という気持ちになりました。

 

考えてみたら私は母や妻という立場上、ふだん圧倒的に言葉をかける側であることが多いです。「行ってらっしゃい!」「気をつけてね。」「お帰り。」「がんばって。」など。私自身が励まされたり、送り出されることってあんまりないんですよね。

 

それを意識したことってあまりなかったのですが、以前会社に行く途中、見知らぬおばあちゃんから「行ってらっしゃい。」と声をかけられて、すごくほっこりした覚えがあります。

 

何気ない一言なのに、気持ちがあったかくなったり、がんばろうって思える。だって自分のことを気にかけてくれてると感じることができるから。言葉の裏に、その人の体温を感じるから。

 

言葉の力ってすごいと思うんです。たった一言で相手を元気にできるかと思えば、逆に傷つけることもできる。でも人との関係って合わせ鏡だと思うので、感情に任せてきつい言葉を投げつければ、それはそのまま自分にも返ってきます。

 

もちろん人間だから、時には厳しい言葉を使ってしまうこともあるでしょう。でもどうせなら、相手が嬉しいとか楽しいとか、元気になれた!と感じられるような言葉をなるべくならかけたいな、と思うのです。

 

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スマホで撮る写真がちょっとおもしろくなってきた話

最近、写真を撮るのがおもしろいなと思っています。

少し前まで、私はまったく写真に興味がありませんでした。去年からtripnoteという旅行WEBサイトでトラベルライターとして記事を書き始めた時も、旅先でパシャっと撮った写真をただ載せる、という意識しかなかったのです。

でもほかのライターさんの記事を見ていて、写真ってこういうメディアではすごく大事なんだな~、と気づいたんです。ぱっと目に入る写真が素敵だと、その記事を読んでみようかなとも思うし、その場所に行ってみたい!っていうワクワク感も格段に上がる気がします。そんなわけでそれ以来写真を撮るときは、前よりも構図や向きを意識するようになりました。

私はカメラを持っていないので、写真はずっとスマホで撮ってきました。かさばらないし、手軽に撮れるし、重くない。でもこういうものには全然くわしくないので、機種にもとくにこだわりはありませんでした。

 

そんな去年の12月、それまでのiPhone7の調子が悪くなり、iPhoneⅩに変えることになったのです。すると明らかに、撮る写真のきれいさや鮮明さが、それまでとは格段に違うんですよね。ぼかしも入れられますし。まあいいのか悪いのかは分からないけど、今は加工技術もすごいですしね。

ちなみに主人は一眼レフのカメラを持ってるんですが、夏に山形に帰省した際の写真を見比べてみたら、スマホで撮った写真でも全然遜色ない。(プロのカメラマンさんに言ったら怒られそうですが(;'∀'))主人もあらためてiPhoneⅩのカメラ性能のよさにびっくりしていて、それ以来、私のiPhoneⅩを密かにねらっているようです。あげないけど。

そんな中、私が記事を書いている地元メディアの編集の方や友人から、立て続けに「最近写真が素敵ですよね!」といわれたりして、ちょっと調子に乗る私・・。だってそれまで、写真をほめられたことなんて一回もありませんでしたから。まあ、ほめられたのはiPhoneⅩなんだけどね。

でもカメラの難しいことは全然分かりませんが、同じものを撮るにしても、ほんのちょっとした角度や構図で全く印象が変わるのがおもしろいんですよ。もうこれは、人それぞれの好みとか感性とかセンスだと思うので、自分がいいと思えばいいんです!

どう撮ったらもっと素敵に見えるかな~、ってあれこれ角度や距離や構図を変えながら撮って、「これだよ♪」って思うような一枚がとれた時はすごくうれしい!

最近はカシャカシャとビールや夕飯の料理を撮っては、「前もおんなじの撮ってたじゃん!いったい何枚ビールの写真撮ってんの??」と子どもたちに嫌がられてます。

でもいいの!写真の腕をほめられたわけじゃないけど、こういう勘違いも必要よね。それで、今までよりもっと素敵な写真が撮れるようになればいいんだもの。

 

 

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【山形・秋田】鳥海山へ

8月初旬に山形に帰省した際、この数年間ずっと登ってみたいと思っていたふるさとの山に登ってきました。

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標高2,236mの山形・秋田の県境にそびえる鳥海山(ちょうかいさん)。子どもの頃から毎日仰ぎ見ていた、私にとっての母なる山です。今回数年越しにようやく登るチャンスが訪れ、千葉から家族4人分のリュックや登山靴などを車に積み込んでの帰省となりました。

 

はじめは1泊の予定でしたが、2日目の天気が崩れそうだったので、急きょ日帰りで行くことに。結局直前になって子どもたちは行かないことになり、実家でお留守番。家族での登山はこれまで何度もありますが、主人と二人だけで行くのは今回が初めて。私は本格的な登山は3年ぶりだったので、正直ちょっと不安でした。

 

秋田県側の「鉾立(ほこたて)口」に車を停め、5時半出発。途中、左手には深い谷が見下ろせます。これまで私が見たことのある鳥海山は、ほとんど表の顔だけ。一歩山の中に入ればこんな景色が広がっているなんて、正直驚きでした。

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石畳がずっと続く道。石段はあまり好きじゃないけど‥。でも思ってた以上に登山道は整備されている感じです。

 

ここは秋田と山形の県境なんですね。

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鳥海山は登山者に花の名山として人気があり、高山植物の固有種もあります。これはチョウカイアザミ。初めて見ました。黒っぽい紫色で、ちょっとおどろおどろしい雰囲気!

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振り返ると日本海が広がっています。きれいな海とどこまでも続く青空、そして清々しい山の空気が気持ちよすぎ♪

 

ただ途中から、右足の筋に違和感が・・。まだ先は長いのに!日ごろの運動不足を後悔しますが、もう遅いですね。はじめは大したことありませんでしたが、だんだんペースも落ちて、口数も少なくなる私(;'∀')。主人は途中、「戻ろうか?」と言ってくれましたが、「いや、行く!」

 

出発から2時間弱で、最初のポイントである御浜小屋に着きました。ホッとする私。

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御浜小屋は宿泊することもでき、そのすぐ下には鳥海湖という火口湖があります。

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途中、ガルボ休憩でエネルギーチャージ!ちなみに残ったガルボは、帰りにはチョコドロドロで原型をとどめてませんでした。ガルボはお早めに!

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苦労して歩き、ようやく分岐点となる七五三掛(しめかけ)まで来ました。まっすぐ行くと外輪山を経由するコース。左へ下りると雪渓を渡るコースです。私たちは雪渓コースへ進みました。でも階段を下り始めてすぐに後悔!

 

え、こんなに下りるの・・Σ(゚Д゚;

 

よっぽど引き返そうかと思いましたが、主人はどんどん先に下りていくので、もう行くしかない。千蛇谷(せんじゃだに)の底まで下り、雪渓を渡ります。

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幾筋もの飛行機雲が青い空に線を描き、まるで絵のようです。でもそんなことを思いながらも、足は限界。

 

主人は「今ならまだ引き返せるよ。」と声をかけてくれましたが、はっきりいってそれだけは避けたい。今下りてきたこの恐ろしく急な階段をまた上るくらいなら、目の前に続く道を行く方がまだましです。もうとにかく一歩一歩、前に進むしかない。

 

途中見かねて、主人が私のリュックを持ってくれました。便乗しておんぶも頼んでみましたが、それはあっさり断られました(笑)。

 

急な斜面を登って、ようやく頂上の下にある大物忌(おおものいみ)神社に到着。(最初の予定では、ここにある御室小屋に一泊しようと思っていました。)そして無言のおにぎりタイム。

 

山頂はどうやらこの岩場の上らしい。「もう限界だし、山頂は行かなくていいや。」と思っていたんですが、結局登ることに。

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でもですね~。なんとここで私、奇跡の復活を遂げたんです!岩場を登り始めたら、なぜか急に元気になっちゃって、気がついたら上にいました(笑)。

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そしてさらに矢印のとおりに進んで、ついに新山の山頂に到着~!

 

30分前の自分を考えたら、まさに奇跡としかいいようがありません!どうやら私、岩場好きらしい。

 

そしてそのまま外輪山へ。また痛みだした足を少しだけ休ませます。黙って座る私の目の前に広がるのは、いちめんのお花畑。そしてところどころに雪渓も見えます。その先にはいくつもの緑の森が重なりあい、さらに奥には庄内平野と酒田の街があるはず。 

 

聞こえるのはただ風が渡る音と鳥のさえずり、そして虫たちが飛び交う羽音だけ。ちょうちょがひらひらと舞い、色とりどりの花が咲き乱れる風景。下から見上げるだけだった鳥海山の上には、こんな天国のような景色が広がっていたんですね。

 

ここは自分の原点。生まれ育ったふるさと。ここにある全てのものに私は生かされてるんだ、と思いました。

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このあとはただひたすら稜線を歩いていきます。外輪山歩きは高低差があまりない分、足への負担もだいぶ少なくなり、気持ち的にも体力的にもかなり持ち直しました。

 

さっき立ち寄った山頂下の御室小屋が遠くに見えます。あの上まで登ったのが信じられないくらい。

 

このまま空まで歩いていけそうな気持ちになります。

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何度も心が折れたけど、やっぱりここまで来てよかった!

 

油断していたところにまた急な石段が現れましたが、やっと鳥海湖まで戻ってきました。ここまでくればなんとなく安心です。あとはただひたすら、石段の道を下っていきます。短いようでけっこう長い!

 

ようやく駐車場に着いたのは午後4時過ぎ。運動不足を痛感した11時間の山歩きでしたが、頂上直下の岩登りと、外輪山の稜線歩きがとても楽しい山でした。

 

 

一人旅をしてみたい人へ~そのメリットとデメリットについて

 

最近、以前に比べて一人旅についての旅メディアや本をみかけます。需要があるということなのでしょう。一人旅といっても、国内、海外と様々ですが、興味はあるけどなかなか一歩を踏み出せない・・という人もけっこう多いんじゃないでしょうか?

 

私が以前、バックパッカー旅から帰った後によく言われたのが「一人で海外なんてよくそんな勇気あるよね。」という言葉でした。

 

私自身はもともと一人行動が好きだし、国内でもふらっと旅に出てましたから、それを特別なこととは思わなかったのですが、もしそれが初めてのことなら、一歩踏み出すのに勇気がいるのかもしれません。

 

 

そこで今日は、これから一人旅をしてみたい人のために、そのメリットとデメリットについてお話したいと思います。

 

 

一人旅のメリット

 【1】全て自分で自由に決められる

何でも自分で決められること。私はこれが一人旅の最大のメリットだと思っています。行き先、交通手段、宿泊場所、すべて自分で決められます。そしてその時の自分の体調や気分によって、フレキシブルに行動を変えることもでき、自由度はとっても高いです。

 

【2】気疲れしない

一人旅だと誰かに気を使わずにすむこと。これも私の中では一人旅の大きなメリットのひとつ。

 

誰かと旅をする場合、長い時間行動を共にすることになります。短い日数なら楽しく終わることもできるでしょうが、これがある程度長い旅になると、だんだんお互いに気疲れしてきます。

 

食べるのも一緒。寝るのも一緒。どんなに仲のいい友人同士でも、お互いの見たくなかった部分が見えてくる可能性も大。相手が仲良しであればあるほど、友情に亀裂が入ったときのダメージは逆に大きいと思います。

 

海外放浪中、いろんな国のバックパッカーに出会いました。カップルや友人同士も少なくありません。

 

これはどこまで本当か分からないけど、一緒に長旅をしたカップルの大半は、最後に別れるという話を聞いたことがあります。これはあながち嘘じゃないんじゃないかな。貧乏旅ならなおさら、お互いにいやなところも見えやすい気がします。

 

逆にこういう旅を最後まで一緒に乗り越えられたカップルは、そのまま結婚までいくのかもしれないですね。

 

【3】他のバックパッカーと友だちになりやすい

一人旅同士だと、お互いに話しかけやすい。同じ宿泊先の共有スペースなどでちょっとした会話が始まって、一緒に街をブラブラしたり、なんてこともあります。

 

以前ポルトガルの安宿で、数か国のバックパッカーたちと仲よくなり、翌日みんなで少し遠出したことがありました。帰りは3~4人ずつ、3チームに分かれて、ヒッチハイクでどのチームが一番早く宿に帰り着けるか?!なんていうちょっとしたゲームも・・。こんなことも一人旅の醍醐味の一つです。

 

では逆に一人旅のデメリットはどんなことでしょう?

 

 

一人旅のデメリット

【1】感動を誰かと分かち合えない

感動を分かち合えないこと。これはやはり、一人旅をしてる時にちょっと寂しく思うポイント。すごく素晴らしい景色に出合ったり、素敵な体験をしても、隣にいる誰かと「すごいよね~!!」と感動をシェアできないのは少し悲しい。

 

【2】食事が寂しい

食事は・・やっぱり一人より誰かと食べた方が楽しいですし、おいしいですよね!これは事実です。

 

【3】トラブルの時の不安感が大きい

何か不測の事態が起きた時、一人だと心細いですね。私が旅をしていた時は、ネットやスマホなどもなかったので、何かあったときにすぐに誰かに連絡できる手段もありませんでした。

 

ニュージーランドトンガリロ山という山に一人で登った時、途中ものすごく風の強い場所があり、左側は足を踏み外したら崖の下、という状況でした。

 

この時はさすがに、もし私がここで落ちても、見てる人もいないし、誰にも発見されないまま死んじゃうかも・・!と緊張した覚えがあります。今思えば、ほとんど登山経験もないのに向こう見ずでした。

 

自分では全く自覚がなかったのですが、一人旅から帰国後すぐ、友人に言われた言葉は「なんか顔がきつくなったね。」でした。多分一人旅だから「自分の身は自分で守らないと‥!」という気持ちが常にあったんでしょう。知らず知らずのうちに気を張ってたんだと思います。

 

 

さて思いつくままに、一人旅のメリットデメリットについて書いてみました。でもデメリットはあるものの、私はやっぱり一人旅派です。先に挙げたメリットに加えて、普段の生活の中で本当に一人になって、自分と向き合う時間というのはなかなかありません。

 

飛行機や列車の中で、なかなか読めないでいた本を開いてみたり、頭の中でいろんな思考を巡らせてみるのも贅沢な時間です。こんな時こそ、スマホとちょっと距離をおくのもいいんじゃないでしょうか?

 

 

一人旅をしてみたいけどちょっと不安・・という人におすすめなのは?

もし、一人旅してみたいけど、やっぱり一人旅は不安。何かあったらどうしよう・・という人には、まずは近場の旅から始めることをおすすめします。

 

自分の知っているエリア、もしくはそこから少しだけ足を延ばすくらいのエリア。最初はお泊まりでなくても、日帰り旅でもいいと思います。もし電車旅なら、本数の多い路線の方がより安心感があっていいでしょう。

 

きっとそこから自分の新しい旅のスタイルが始まり、自由な旅に目覚めて、気がついたら海外まで足を延ばしてますよ♪

 

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一緒に旅したい理想の相手とは?

私は基本的に一人旅派ですが、たまに「もし自分が(家族以外の)だれかと旅に出るとしたら、どんな人となら楽しめるかな。」と考えるときがあります。 もちろん信頼できる相手というのは必須条件ですが、他に求めるものはただ一つ。

 

「自立した旅ができる相手であること」です。

 

自分の旅のスタイルもありつつ、お互い無理のない範囲で一緒に楽しめる人。

 

たとえば「今日は私はここに行きたい。」「私はこっち。」という状況になった時に、「じゃあ、今日はそれぞれ自由行動ね!またあとで!」とあっさり離れられるくらいがちょうどいいかなあ。ホテルの部屋も別々ならなおよし!

 

もし相手が、「一緒に来てるんだから、なんでも一緒に楽しみたい!」という人だったら、きっとどっと疲れて、楽しい気持ちなんて吹き飛んでしまうでしょう。短い旅行ならまだしも、ある程度長い旅なら、私には多分耐えられません(◎_◎;)。ま、でもそういう人と長い旅に出るなんていうシチュエーション自体、そもそもないか(笑)。

 

 

旅に限らず、私は仲のいい相手とでも、ある程度の距離感は必要だと思っています。それはたとえ親子や夫婦だとしてもです。それぞれの世界を持つことは大事だし、それは尊重されるべきだと思うから。個人的には、依存するのもされるのもあまり好きではないので、多少ほっといてもらえるくらいが、私にはちょうどいいのです。(その点、夫には感謝?)

 

私の仕事仲間のTさんの息子さんは、私の理想とするそんな「友旅」(?)を実現しているらしい。年に数回、友人同士で海外を旅するそうですが、みんな各自でチケットを手配し、現地集合する人もいれば、途中参加があったり、はたまた途中離脱があったりと、かな~り柔軟な友旅をしているんだとか!

 

そんな仲間となら、きっと一生の友だちでいられそう!こういう旅を無理なく楽しめる仲間がいるって、すごく幸せなことかもしれません。

 

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自分の居場所はいくつかあった方がいい

皆さんは自分の顔をいくつ持っていますか?

 
私はふだん、母や妻や学校の読み聞かせママとしての自分のほか、パート事務、トラベルライター、地域の魅力を発信するライターなどの顔があります。もちろんそれぞれに関わる人も違うし、自分の立場や存在感もちがう。そしてこんな状況が(大変ではあるけど)楽しいなあ、と思える自分がいます。

 

でも5年前までは母や妻としての自分しかいない気がして、ずっと息苦しさを感じていました。

 

今、わが家の子どもたちは13才と11才です。上の子の出産のときに仕事を辞めて以来、8年間は専業主婦でした。当時は育児に専念することにも特に疑問を持たず、それまでやっていた仕事もあっさり辞めました。

 

でもいざ、子どもと一日中一緒の生活が始まると、だんだん煮詰まっていく自分がいました。2人目が生まれた後はなおさらです。実家は遠いし、当時は引っ越したばかりで知り合いもいない。主人は朝から晩まで仕事で、毎日帰りは夜中です。

 

「妻」と「母」としてだけの自分。まるで「自分自身」が空っぽのように感じました。

 

やがて子どもたちは幼稚園に通うようになります。この幼稚園は、子どもの遊びが主体の幼稚園であると同時に、ママたちの学びをとても大事にする園でした。いろんなことを吸収でき、ママ友もできて楽しい反面、完全に幼稚園中心、子ども中心の生活。お互い呼び合うのは「〇〇ちゃんのママ」。そして最初は違和感を感じても、やがてそれに慣れていく自分もいるんですよね。

 

ここでも完全に「ママ」としての存在。子どもが生まれる前は、おそらくほとんどのママたちは社会に出た経験もあり、バリバリ仕事もしていただろうに、幼稚園の中では「〇〇ちゃんのママ」。もちろん親しい友人になったママとなら、お互い一個人としての付き合いもあるけれど、それはむしろ少数です。しかも私はもともとグループでの付き合いはとても苦手でしたから。

 

人数も少なくアットホームな幼稚園ではあったけど、その分求められるものも大きく、自分がアップアップし始めたので、ある日引き受けるものを思い切って減らすことにしました。

 

そして、幼稚園「だけ」の世界から脱け出したくて、子どもたちが園にいる間、いろんなセミナーや講演会などに参加するようになりました。知らなかった世界や人を知ることの楽しさ。「子ども」というフィルターを介さない、自分だけの世界も持つということ。

 

 

その結果、煮詰まっていた気持ちも少し和らぎ、子どもに対してもちょっとだけ余裕が持てるようになった気がします。何より、「母」や「妻」としての自分だけでなく、「自分としての自分」を取り戻すきっかけになりました。

 

人は狭い世界だけで生きていると苦しくなるもの。少なくとも私はそうでした。うまくまわっていたり、何の疑問も持たないでがむしゃらにやっているうちはいいのだけど、ふとした瞬間に息苦しさを覚え始めたらもう最後。

 

「いや、そうじゃない。ここにいる自分だけが全てじゃない。ほかの自分もいるんだ。」そしてあがきはじめる。もうごまかすことはできません。それは自分自身を騙すことになるから。

 

 

自分の居場所はいくつか作っておいたほうがいいのだと思います。「自分だけと向き合うひとりの時間」というのも含めて。

 

自分の世界を広げるという意味はもちろんですが、行き詰まった時の逃げ場という意味でも。どっぷりハマる場所じゃなくても、息継ぎが少しだけできるような場所であればいいのです。

 

今の私には、いくつかの自分の居場所があります。それぞれの場所で全く違う人たちとの関わりがあり、自分の立ち位置がある。リアルな世界もあれば、SNSの世界もある。時にはSNSからリアルへとつながった世界も。

 

 

でもそれで今の私はバランスがとれているのだと思います。ひとつの自分に片寄りすぎず、適度に空気も抜きながら。

 

 

「母」や「妻」としての自分でいるためには、まず「自分」としての私がいないとやっていけないのですよ。人間ですから。

 

 

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自然の中に放り出された子どもたちが得るもの

今日は野田知佑さんが書いた、ユーコン川を筏で下る』という本を紹介します。

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野田さんは世界中の川をカヌーで旅し、その旅で出会った人や出来事や感じたことを書いているのですが、私は味わいがあるその文章が好きで、以前よく読んでいました。

 

野田さんはカナダとアメリカのアラスカ州にまたがるユーコン川に何度も足を運んでいて、思い入れも強いようです。そんな中、この本の中に次のようなエピソードがありました。

 

数年前にユーコンに行った時に再会した、バンクーバーから来た男の話。その初老の男は、元建築士でリタイアした後、毎年ユーコンに来ているのだそうです。ある時彼は、野田さんと焚火を囲みながら、自分の息子がユーコン川のおかげで救われた話をしました。

 

息子は15才になったとき不登校になってしまい、自分の居場所をなくしてしまったのです。父であるその男はどうすればよいのか途方に暮れます。そして、ひとつの決断をするのです。男は仕事を半年間休み、息子を連れてユーコン川の源流に向かいました。そして3か月かけてユーコン川を下ったのです。

 

もともとアウトドアが好きだったその男は、息子を自然の中に連れて行けば、必ずいい結果が生まれると信じていたのだそうです。息子ははじめは乗り気ではなく、いやいやながら父親と旅を始めたのですが、しばらくすると川の生活にも慣れてきました。ただ、もちろん単調な生活。夜は焚火の前で本を読み、夜が更けるとだまってテントで寝るだけの毎日。

 

しかし、1か月も経つと息子の表情が変わってきます。そして3か月後にベーリング海に出るころには、30冊もの名作を読み終え、元気になって父親にも胸の内をいろいろと話すようになったのだそうです。

 

それに似たようなことは、実際に野田さんも経験しているようで”自然の持つ治癒力というものは実際に体験しないとわからない。あっという間に子供が変わるのだ”と書いていました。

 

 

これを読んでいて思い出した話があります。

 

やはり私の好きな星野道夫さんという人の本です。星野さんはアラスカに住みながら様々な動物の写真を撮ったり、エッセイを書いたりする人でした。悲しいことに若くして事故で亡くなってしまったのですが、星野さんの文章は私の胸にとても響く内容で、一時期何冊も読んでいました。

 

その中の旅をする木という本の中で 「ルース氷河」という話があります。

 

星野さんが学生時代の仲間とともに、小学生から高校生までの11人の子どもを連れて小さなセスナ機に乗り、アラスカ山脈のルース氷河という場所に1週間滞在する話です。

 

ここには無人の小さな岩小屋があるのですが、子どもたちは現代社会からは一切隔絶され、すさまじい絶壁や氷壁に囲まれたこのルース氷河にポンと放り出されるのです。ここに来た子どもたちは、反抗期真っただ中の女子高生やガキ大将の小学生、進学校に通う中学生と育った環境も性格も様々な子たちです。

 

でもこの厳しい環境ではそんなものは一切関係なく、まず雪を溶かして水をつくるところから始めなければならない。そしてその貴重な水を上手に使ってゆかなければいけないのです。何もかもが守られている都会の生活から、子どもたちは少しずつ自然へとかえっていきます。

何もないこの世界では、食べて、寝て、出来る限り暖かく自分の命を保ってゆくことが一番大切なのだ。

 

そして、明日はセスナが迎えに来て山を下りなければいけないという日の夜、子どもたちはいくつもの流れ星が落ちていく中、大きなオーロラを見るのです。

 

子どもたちが帰国後、このルース氷河での1週間をどのように受け止め、その後どう変わったのかはわかりません。でも、星野さんはいいます。

子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり様々な人生の岐路に立った時、人の言葉ではなくいつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。

 

野田さんのエピソードも星野さんの話も、根っこの部分はつながっているんじゃないかと私は思います。

 

親である私が子どもたちに経験させてあげられる自然は、せいぜい山登りやキャンプくらいのものです。それでもそんな中、子どもたちは下界では決して体験できない朝を山の上で迎え、真っ赤に燃える朝焼けをみたり、あるいは冷え込む夜に焚き火を囲み、その暖かさを肌で感じたりする。

 

こういう体験が、これから大人になる彼らにどんな影響を与えるんだろうかと、私も思うことがあるのです。

 

まさに星野さんがいうように、こういう記憶が今すぐにこの子たちになにかを残さなくてもいい。ただ、これから大人になっていくなかで、断片的にでもその自然の風景や、山の風の冷たさ、火をくべた時の薪のにおいなどを、ふと思い出す時が来てくれればいいと思っているのです。

 

 

最後までよんでいただきありがとうございます。

 

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