今日は一編の詩の話です。
『あした』
あしたの あたしは
あたらしい あたし
あたしらしい あたし
あたしの あしたは
あたらしい あした
あたしらしい あした
『あしたのあたしは あたらしいあたし』
数年前の雑記ノートを本棚で見つけ、ふと開いてみたら、一編の詩の切り抜きが貼ってありました。
子どもたちが幼稚園の頃に、先生と母たちで毎月学んだ様々なこと。母たち同士のいろいろな勉強会もあったりと、それはそれは忙しい幼稚園づけの毎日。前回の記事にも書いたとおり、私にとってそれが時に息苦しく感じられたこともありました。
でも反面、今までの自分が全く知らなかった世界、目を向けなかったであろう世界〜沖縄戦の話や、絵本の深い話、はたまた鮭の卵を孵化させて育てるなど〜を知るきっかけをくれた幼稚園でもあったんですよね。
そんな中、私は自分が少し気になったことはノートに書き留めたり、切り抜いたりしていたのでした。今回見つけた詩はそんな中のひとつ。
私はふだん詩にはあまり興味がありません。でもこの時、この詩はなんとなく自分に響くものがあったんでしょう。ただ当時は多分、この詩を卒業を間近に控えた子どもたちの姿に重ねて切り抜いたのだと思います。
今、この詩は自分自身に向けられた言葉のような気がしています。5年前に子どもたちに贈ってあげたいと思ったこの詩を、今は自分に贈ろうと思います。
読んでいただきありがとうございます。
よかったら他の記事ものぞいてみてくださいね。