今朝の新聞で目にした「障害」についての記事。それは1人で世界一周をしたという、車いすの青年に関するものだった。旅の道中大変さもありながらも、行く先々で出会った親切な人たちとの記憶が自分にとって宝ものになっている、という内容だった。
心の奥底に眠っていた20年前の記憶が、ふと蘇る。
ヨーロッパ放浪旅も後半に差しかかった頃、私はハンガリーのブダペストを訪れた。安宿で2日ほど過ごしたのだが、そこで出会った数人のバックパッカーと一緒に過ごしたのだ。
その中の一人は、盲導犬を連れた30代くらいのアメリカ人男性で、名前をアンジェロといった。ジェシーというアメリカの若者がアンジェロをさり気なくサポートしていたので、てっきり2人は一緒に旅をしているのだと思っていた。
しかしほかの数人も含め、一緒に街に出かけたりごはんを食べに行ったりする中で、この2人はどうやらそれぞれ一人旅をしている最中だと知る。道中出会って、今はたまたま一緒に旅をしているらしい。この先きっとどこかで、またそれぞれの行き先へと向かうのだろう。
そうなると驚くべきはアンジェロの行動力だ。だって彼はまったく目が見えないにもかかわらず、一人で盲導犬と旅をしているのだ。しかも海外を!
日本ではとても考えられないと思った。私の中の「障害者」のイメージは、人との接触をできるだけ避けて、どちらかというと内にこもっている感じ。身近に障害のある人がいなかった分、私も先入観や固定観念にかなりとらわれていたかもしれない。でも少なくとも、障害を持った人が1人で旅をするなんて、まったく想像もできないことだった。
そんな私の心の衝撃を知るよしもない、当のアンジェロはとても社交的で積極的。大勢でいるときもまるっきり臆することがなく、フットワークも軽いのだ。(みんなで出かけたとき、彼は相棒の犬を宿において、杖で出かけていたと思う。)そしてアンジェロはそんな自由な旅を楽しんでいるように見えた。
そばにいるジェシーのサポートもごく自然で、アンジェロを「障害者」として特別扱いする感じはまったくない。どこまでもさり気なく手を貸すといった雰囲気。
アンジェロの臆することない行動力にしろ、ジェシーのさりげないサポートにしろ、これが彼らのもともとの性格によるものなのか、それともアメリカ社会の成熟によるものなのかは分からない。
でも少なくとも、日本との大きな違いを感じずにはいられなかったし、私にはとてもあるべき姿のように思えた。近い将来、日本でもこんな光景が当たり前になったら素敵だなあ、と思った出来事だったのだ。
その夜、宿のTVでみんなで映画を観た。その映像は見えていないはずなのに、アンジェロはみんなと一緒に楽しそうに笑っている。その光景がとても不思議だった。
でもきっとアンジェロには「見えて」いたんだと思う。彼が旅で出会ってきた誰かの顔も美しい景色も、彼の心にはちゃんと映っていたのかもしれない。
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