その日の午後、私が降り立ったのは京急線の浦賀駅だった。「浦賀」という名前に聞き覚えのある人も多いだろう。そう、歴史で習った「黒船来航の地」ーー。
浦賀がいったい何処にあるのか?正直いうと私はそれさえ知らずにいたのだが、浦賀は神奈川県横須賀市に位置することを、そのつい数日前に知ったのだった。
この町には「東叶神社」と「西叶神社」というふたつの神社があるという。浦賀は海を挟んで東浦賀と西浦賀に分かれており、ちょうど向き合うようにしてふたつの神社が建てられているのだ。そして東西を結ぶ人々の足として「浦賀の渡し」という渡し船が両岸を行き来している。私が浦賀を訪れたのは、この渡船に乗り、両方の神社をお詣りするためであった。
訪れたのは夏の暑さもまだまだ厳しい9月の上旬だったのだが、たまたま年に一度の神社の例大祭の日であったらしい。東叶神社へ向かう途中、出店こそなかったが、はっぴに身を包んだ人たちが、山車の上で太鼓を叩いたり、楽しげな様子で通りに集まったりしている。こぢんまりとしたローカルなお祭りといった雰囲気だ。
東叶神社に着くと、祭りの日だというのに境内は思いの外しんとしていて、社殿に続く階段を上って振り返ってみると、神社の目の前にはキラキラとした海が広がっていた。海を隔てた向こう側には西叶神社があるはずだ。
東叶神社は「東浦賀の叶神社」、西叶神社は「西岸叶神社」と本来別々の神社なのだが、対として認識されることも多い。縁結びのご利益でも知られ、西叶神社の勾玉を東叶神社のお守り袋に入れて身につけると、良縁に恵まれるのだとか。
お詣りをすませ、海辺に足を運んでみると、少年が一人、太陽の下で釣り糸を垂らしていた。ここからほんの少し離れたところでは、祭りの雰囲気がそこかしこに感じられるというのに、少年の影絵のような姿はまるで映画のワンシーンのようで、静寂に満ちていた。目の前には青く眩しく、どこまでも穏やかな海が広がる。
「浦賀の渡し」の渡船場は、東叶神社のほど近くにあった。乗り場は何とも緩いシステムで、船がいない場合はボタンを押すようになっている。程なくして、船が向こう岸からやってくるのが見えた。ほんの7、8分船に乗れば、反対側へ渡ることができる。
ちなみにこの浦賀の東西を結ぶ渡し船の航路は「2073号線」といって、れっきとした市道に認定されている。海上にも市道があるなんて初めて知った。
昔ながらの交通手段というイメージの「渡し船」だが、じつは首都圏にもちょこちょこ残っている。たとえば千葉県松戸市と東京都の柴又を結ぶ「矢切の渡し」は、今も細々と江戸川を小さな舟で行き来する。昔、歌謡曲にも歌われヒットしたので、記憶にある人も多いだろう。
また神奈川県の三浦半島の先端と城ヶ島の間には、城ケ島大橋という立派な橋がかかっているのだが、かたやそのすぐそばでは「城ヶ島渡船」と呼ばれる渡し船が海を往来している。
どれも片道5〜10分程度の乗船時間だが、それだけでもう非日常というか、ささやかな旅気分を味わえるのが渡し船のおもしろいところだ。
さて西岸に到着し、西叶神社へ向かっていくと、東側とは打って変わって、通り沿いにはたくさんの店が出ていた。きっと年に一度のお楽しみなのだろう。わたあめやおもちゃを手にした子どもたちや、友だち同士でそぞろ歩く女子中学生。いかにも長年親しまれてきた町のお祭りといった感じで、誰もがリラックスした表情だ。おそらく多くは地元の人なのだと思う。あるいは大人になって町を離れたけれど、年に一度のこのお祭りには帰ってくる、という人も中にはいるのではないだろうか。人が自分のふるさとの存在を意識するのは、案外こういうタイミングなのかもしれない。
西叶神社でも手を合わせ、無事に東西神社のお詣りをすませると、私は人波に逆行しながらのんびりと駅まで戻った。
鳥居の間から見える海の煌めき。
釣り糸を垂らす少年。
両岸を結ぶ小さな船。
そして思いがけず出会った祭りのさんざめき。
歴史の教科書でしか知らなかった「浦賀」という町が、思いがけず私にとって近しい場所となった9月のある日の午後。