私は今現在、千葉県に住んでいますが、生まれ育ったのは山形県の庄内地方にある酒田市という街です。
旅好きの性分なので、結婚前はいろいろな国を旅しました。その頃の私は、若さゆえの勢いもあって、気持ちは常に外を向いていました。自分が知らなかったたくさんの人やモノに出会えるのが、楽しくてたまらなかったのです。
やがて少しずつ年を重ね、結婚をして家族ができました。もう海外にはずいぶん長いこと行っていません。かわりに足を運ぶのはもっぱら国内。身近な都内の日帰り旅を始め、家族で行くささやかな旅行、そしてふるさとへの帰省など。
そんな中で気づいたのは、この小さな日本という国の中に、なんてたくさんの言葉や文化、食が溢れているんだろうということ。
日本っておもしろい!
気持ちが常に外へ向いていた若い頃には、考えもしなかった心の変化でした。
そしてこれは今まで深く考えたことがなかった、ふるさと山形にもいえること。それまでは、18年間過ごしてきたところだもの、「ふるさと=自分がよく知る場所」とばかり思っていました。でもそれは違いました。じつはふるさとのことなんて、知っているようで少しも知らなかったのです。
例えば庄内の豊かな食文化。庄内地方には「在来野菜」と呼ばれる野菜が何種類もあり、それぞれの地域で大切にその種が守られてきたこと。そしてそれらはとても価値のあるものだということ。
「藤沢かぶ」という在来野菜を作る農家さんで、とれたての泥付きのかぶをかじったときのみずみずしい食感。きっと手塩にかけ、大事に大事に育てているのでしょう。
子どもの頃からよく食べていた「温海(あつみ)かぶ」や「だだちゃ豆」。これらも「在来野菜」のひとつであることは、この時初めて知ったのでした。
在来野菜に限らず、海や山、川と豊かな自然に恵まれた庄内は、食の宝庫。住んでいた頃はごく当たり前に口にしていたものが、じつは庄内独特の食文化だったと知ったのはつい最近のことです。
あるいは東北有数のパワースポットでもある出羽三山(でわさんざん)のひとつ、羽黒山(はぐろさん)。子どもの頃は毎年初詣に来ていた場所です。
私にとってとても馴染み深いところですが、じつは長い石段の途中にある羽黒山参籠所「斎館」のことも知らなかったし、精進料理をいただいたのも去年が初めてのこと。まるで未知の世界に踏み込んだかのようでした。
じつは庄内に帰省するたび、気がつくと必ず一度は羽黒山に足を運んでいた私。なぜなのかずっと不思議に思っていました。それが斎館に宿泊した翌朝のご祈祷のときに、お話を聞いてすとんと腑に落ちたのです。
そうか、私は羽黒山に魂を充電しに来てるんだ・・と。
羽黒山の長い杉並木の石段を目の前にし、「ああ、またここに戻ってきた。」という思いを強くする。あるいは五重塔を仰ぎ見て清々しい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、「ここは神様がおはす場所だ。」と確信する。ここに来ることで自分の中の細胞が喜んでいるのが手にとるように分かる。
単に子どもの頃から慣れ親しんだ場所であるというだけでなく、大人になった自分の魂にとっても大切な場所なのだと気づきました。
そして私にとっての母なる山、鳥海山(ちょうかいさん)。酒田に住んでいた頃は、毎日毎日ながめていた山です。
酒田を離れてからも、ずっとふるさとのことを知ってるつもりでいたけれど、じつはあんなに身近に見ていた鳥海山の上からの景色は、ただの一度も見たことがなかったのです。
数年越しの願いがようやく叶ったのが去年の夏。山頂までは苦しい道のりでしたが、天気に恵まれたこともあり、鳥海山の上で見た景色は天国そのものでした。
高山植物が咲き乱れ、鳥がさえずり、蝶がひらひらと舞っている。はるか遠くまで続く稜線の先はそのまま空と混じり合い、どこまでも永遠に続きそうでした。
下から仰ぎ見るだけだった鳥海山。その上にこんな世界が広がっていたなんて。私の知らないふるさとはここにもあったのです。
「世界は出会ったことのないもので溢れてる!」
これは私が旅をする中でこれまでずっと思い続けてきたこと。そしてこれは自分のふるさとにもいえることなのだ、と今は思います。
この数年、山形に行くときに思うのは、慣れ親しんだふるさとでほっとリラックスしたいという「帰る」気持ちが半分。そしてまだまだ知らなかった新しいものに出会いたいという「旅人」としての気持ちが半分。きっとこの気持ちはこれからもずっと持ち続けるでしょう。これが今の私の心に映る「ふるさと」です。
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