自由旅クリエイター/ライター にじねこMiiのブログ

なりゆきまかせの自由旅が好きなライター。元バックパッカーで今は2児の母。人生を今よりちょっとだけ楽しくしてくれるモノが好き。Web媒体で旅や地域の魅力を発信したり、取材記事を書いてます。お仕事も随時募集中♪

自分の居場所はいくつかあった方がいい

皆さんは自分の顔をいくつ持っていますか?

 
私はふだん、母や妻や学校の読み聞かせママとしての自分のほか、パート事務、トラベルライター、地域の魅力を発信するライターなどの顔があります。もちろんそれぞれに関わる人も違うし、自分の立場や存在感もちがう。そしてこんな状況が(大変ではあるけど)楽しいなあ、と思える自分がいます。

 

でも5年前までは母や妻としての自分しかいない気がして、ずっと息苦しさを感じていました。

 

今、わが家の子どもたちは13才と11才です。上の子の出産のときに仕事を辞めて以来、8年間は専業主婦でした。当時は育児に専念することにも特に疑問を持たず、それまでやっていた仕事もあっさり辞めました。

 

でもいざ、子どもと一日中一緒の生活が始まると、だんだん煮詰まっていく自分がいました。2人目が生まれた後はなおさらです。実家は遠いし、当時は引っ越したばかりで知り合いもいない。主人は朝から晩まで仕事で、毎日帰りは夜中です。

 

「妻」と「母」としてだけの自分。まるで「自分自身」が空っぽのように感じました。

 

やがて子どもたちは幼稚園に通うようになります。この幼稚園は、子どもの遊びが主体の幼稚園であると同時に、ママたちの学びをとても大事にする園でした。いろんなことを吸収でき、ママ友もできて楽しい反面、完全に幼稚園中心、子ども中心の生活。お互い呼び合うのは「〇〇ちゃんのママ」。そして最初は違和感を感じても、やがてそれに慣れていく自分もいるんですよね。

 

ここでも完全に「ママ」としての存在。子どもが生まれる前は、おそらくほとんどのママたちは社会に出た経験もあり、バリバリ仕事もしていただろうに、幼稚園の中では「〇〇ちゃんのママ」。もちろん親しい友人になったママとなら、お互い一個人としての付き合いもあるけれど、それはむしろ少数です。しかも私はもともとグループでの付き合いはとても苦手でしたから。

 

人数も少なくアットホームな幼稚園ではあったけど、その分求められるものも大きく、自分がアップアップし始めたので、ある日引き受けるものを思い切って減らすことにしました。

 

そして、幼稚園「だけ」の世界から脱け出したくて、子どもたちが園にいる間、いろんなセミナーや講演会などに参加するようになりました。知らなかった世界や人を知ることの楽しさ。「子ども」というフィルターを介さない、自分だけの世界も持つということ。

 

 

その結果、煮詰まっていた気持ちも少し和らぎ、子どもに対してもちょっとだけ余裕が持てるようになった気がします。何より、「母」や「妻」としての自分だけでなく、「自分としての自分」を取り戻すきっかけになりました。

 

人は狭い世界だけで生きていると苦しくなるもの。少なくとも私はそうでした。うまくまわっていたり、何の疑問も持たないでがむしゃらにやっているうちはいいのだけど、ふとした瞬間に息苦しさを覚え始めたらもう最後。

 

「いや、そうじゃない。ここにいる自分だけが全てじゃない。ほかの自分もいるんだ。」そしてあがきはじめる。もうごまかすことはできません。それは自分自身を騙すことになるから。

 

 

自分の居場所はいくつか作っておいたほうがいいのだと思います。「自分だけと向き合うひとりの時間」というのも含めて。

 

自分の世界を広げるという意味はもちろんですが、行き詰まった時の逃げ場という意味でも。どっぷりハマる場所じゃなくても、息継ぎが少しだけできるような場所であればいいのです。

 

今の私には、いくつかの自分の居場所があります。それぞれの場所で全く違う人たちとの関わりがあり、自分の立ち位置がある。リアルな世界もあれば、SNSの世界もある。時にはSNSからリアルへとつながった世界も。

 

 

でもそれで今の私はバランスがとれているのだと思います。ひとつの自分に片寄りすぎず、適度に空気も抜きながら。

 

 

「母」や「妻」としての自分でいるためには、まず「自分」としての私がいないとやっていけないのですよ。人間ですから。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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自然の中に放り出された子どもたちが得るもの

今日は野田知佑さんが書いた、ユーコン川を筏で下る』という本を紹介します。

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野田さんは世界中の川をカヌーで旅し、その旅で出会った人や出来事や感じたことを書いているのですが、私は味わいがあるその文章が好きで、以前よく読んでいました。

 

野田さんはカナダとアメリカのアラスカ州にまたがるユーコン川に何度も足を運んでいて、思い入れも強いようです。そんな中、この本の中に次のようなエピソードがありました。

 

数年前にユーコンに行った時に再会した、バンクーバーから来た男の話。その初老の男は、元建築士でリタイアした後、毎年ユーコンに来ているのだそうです。ある時彼は、野田さんと焚火を囲みながら、自分の息子がユーコン川のおかげで救われた話をしました。

 

息子は15才になったとき不登校になってしまい、自分の居場所をなくしてしまったのです。父であるその男はどうすればよいのか途方に暮れます。そして、ひとつの決断をするのです。男は仕事を半年間休み、息子を連れてユーコン川の源流に向かいました。そして3か月かけてユーコン川を下ったのです。

 

もともとアウトドアが好きだったその男は、息子を自然の中に連れて行けば、必ずいい結果が生まれると信じていたのだそうです。息子ははじめは乗り気ではなく、いやいやながら父親と旅を始めたのですが、しばらくすると川の生活にも慣れてきました。ただ、もちろん単調な生活。夜は焚火の前で本を読み、夜が更けるとだまってテントで寝るだけの毎日。

 

しかし、1か月も経つと息子の表情が変わってきます。そして3か月後にベーリング海に出るころには、30冊もの名作を読み終え、元気になって父親にも胸の内をいろいろと話すようになったのだそうです。

 

それに似たようなことは、実際に野田さんも経験しているようで”自然の持つ治癒力というものは実際に体験しないとわからない。あっという間に子供が変わるのだ”と書いていました。

 

 

これを読んでいて思い出した話があります。

 

やはり私の好きな星野道夫さんという人の本です。星野さんはアラスカに住みながら様々な動物の写真を撮ったり、エッセイを書いたりする人でした。悲しいことに若くして事故で亡くなってしまったのですが、星野さんの文章は私の胸にとても響く内容で、一時期何冊も読んでいました。

 

その中の旅をする木という本の中で 「ルース氷河」という話があります。

 

星野さんが学生時代の仲間とともに、小学生から高校生までの11人の子どもを連れて小さなセスナ機に乗り、アラスカ山脈のルース氷河という場所に1週間滞在する話です。

 

ここには無人の小さな岩小屋があるのですが、子どもたちは現代社会からは一切隔絶され、すさまじい絶壁や氷壁に囲まれたこのルース氷河にポンと放り出されるのです。ここに来た子どもたちは、反抗期真っただ中の女子高生やガキ大将の小学生、進学校に通う中学生と育った環境も性格も様々な子たちです。

 

でもこの厳しい環境ではそんなものは一切関係なく、まず雪を溶かして水をつくるところから始めなければならない。そしてその貴重な水を上手に使ってゆかなければいけないのです。何もかもが守られている都会の生活から、子どもたちは少しずつ自然へとかえっていきます。

何もないこの世界では、食べて、寝て、出来る限り暖かく自分の命を保ってゆくことが一番大切なのだ。

 

そして、明日はセスナが迎えに来て山を下りなければいけないという日の夜、子どもたちはいくつもの流れ星が落ちていく中、大きなオーロラを見るのです。

 

子どもたちが帰国後、このルース氷河での1週間をどのように受け止め、その後どう変わったのかはわかりません。でも、星野さんはいいます。

子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり様々な人生の岐路に立った時、人の言葉ではなくいつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。

 

野田さんのエピソードも星野さんの話も、根っこの部分はつながっているんじゃないかと私は思います。

 

親である私が子どもたちに経験させてあげられる自然は、せいぜい山登りやキャンプくらいのものです。それでもそんな中、子どもたちは下界では決して体験できない朝を山の上で迎え、真っ赤に燃える朝焼けをみたり、あるいは冷え込む夜に焚き火を囲み、その暖かさを肌で感じたりする。

 

こういう体験が、これから大人になる彼らにどんな影響を与えるんだろうかと、私も思うことがあるのです。

 

まさに星野さんがいうように、こういう記憶が今すぐにこの子たちになにかを残さなくてもいい。ただ、これから大人になっていくなかで、断片的にでもその自然の風景や、山の風の冷たさ、火をくべた時の薪のにおいなどを、ふと思い出す時が来てくれればいいと思っているのです。

 

 

最後までよんでいただきありがとうございます。

 

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旅で感じた不便さゆえの自由とは?

ユーコン川を筏で下る』

野田知佑(のだともすけ)さんという方の本です。

野田さんは日本を代表するカヌーイストで、世界中の川をカヌーで旅し、それをたくさんの本につづっているのですが、この本はカナダとアメリカのアラスカ州をまたいで流れているユーコン川をいかだで下るという壮大なノンフィクション。

 

また、この本でもそうですが、野田さんは相棒の犬を「カヌー犬」として育てて(?)一緒に旅をする、という独特のスタイルでも知られています。

 

私はむかしから「冒険」とか「探検」とか「世界の果て」といった、男のロマンをかきたてるようなフレーズに弱くて(私は男性ではありませんが(笑))ついつい目が行ってしまう習性があります。

 

なので野田さんや椎名誠さんといった、破天荒で痛快な旅をする人の本は一時期けっこう読んでいました。

私自身は冒険的な旅はしたことはありませんが、よくよく考えてみればなかなかの僻地好きです。ワーキングホリデーの時は、人の住む島としてはニュージーランドの最南端にあるスチュワート島で年を越しましたし、イギリスを放浪中は、地図でみた「Land's End(地の果て)」という地名だけでそこを訪ねて行ったこともありました。 (ホントに地の果てでした。)

 

20年前ですから、まだインターネットが日本に普及する前です。

 

もちろんスマホもなく、こちらから手紙を書くか国際電話をかけないかぎりは、家族ともまったく連絡がとれない時代でした。

 

今、世界中で、自分がこの場所にいることを知っている人は自分以外にだれもいないのだ!という爽快感。まったくの自由なのだ、と心の底から思いました。

 

 

今はインターネットで驚くほどなんでもすぐに世界中とつながることができます。そのおかげで宿や飛行機などの予約も簡単にとることができますし、海外の友だちとWhatsApp(欧米でメジャーなLINEのようなアプリ)でおしゃべりもできます。

 

少し前までは、こんなに世界が小さく感じるようになるなんて想像もできませんでした。でもその便利さの一方で、常に何かに追われ、管理されているようにも感じるのです。

 

時代が戻ってほしいとは思いませんが、不便だったからこその自由もあったなあ・・と少し懐かしく思う今日この頃です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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海外一人旅から20年後、旅について思うこと


一年間、ワーキングホリデーでニュージーランドに行き、その後半年間ヨーロッパを一人で旅したのは、私が25〜26才の頃。若かった私にとって、それはその後の人生に大きな影響を与えた出来事でした。

 

日本ではよく「旅に出る=自分探し」みたいに言われますが、私はべつにそんなつもりで旅に出たわけではないし、何かを得ようと思ってたわけでもない。ただいろんな世界、いろんな景色を見てみたかったのです。そして、それをあるがまま、自分の感性で受けとめたいと思いました。

 

固定観念や先入観を持ちたくなかったので、自分が必要だと思う最低限の情報以外は持たず、あとは全て行き当たりばったりの旅でした。

 

行き先も宿泊先も、全部自分で決めないと先へは進めない。でも誰かに相談しなくていい分、気もラクです。ヨーロッパ旅では、朝起きたら気分が変わって、急きょ前日の予定とはちがう国に行ったり・・。

 

誰かと一緒の旅にもまたちがう楽しさはあります。でも長期の旅となると話はちがってくる。よほど旅の価値観が近い相手じゃないと、長い間一緒に旅をするのはなかなかむずかしい気がします。よくも悪くも、お互い本性がみえちゃう。程よい距離感は必要です。

 

長い一人旅の中で、「誰かと一緒がいいな〜」と思ったのは、ごはんを食べるときと、感動を分かち合いたいと思ったときかな。

 

当時日本では、インターネットはまだそんなに普及していませんでした。ヨーロッパを走る列車の時間を調べるにも時刻表とにらめっこだし、その国に着いたらまず一番に宿を探す。インフォメーションセンターで紹介してもらったり、直接電話で問い合わせたりと、それが当たり前でした。 その時旅のおともをしてくれたボロボロのヨーロッパ鉄道地図は、いまだに宝物としてとってあります。

今思えば、何度となく危ない橋を渡ってきたな〜と思うこと多々あり。最後まで怖い目にあわずに済んだのは幸いでした。

 

ポルトガルに向かう列車の何両かがフランスのボルドーで切り離されて、前の何両かだけがポルトガルに向かうことを知らずにいたら、そのままボルドーの駅に置いてけぼりになってしまった、なんてこともありました。結局そのときは、ボルドーの駅のベンチで一夜を明かしましたが´д` ;。今ならもちろんやりません(笑)。

 

ゼスチャーとそれなりの英語を駆使し、若さゆえの無謀さで突き進んだニュージーランドとヨーロッパの一人旅は楽しかった!

 

ヨーロッパ旅はお金が尽きるまで続けようと決めていたので、少しでも長く旅を続けるため、バックパックを背負い、安宿を泊まり歩くビンボー旅でした。でもそんな中(いろんな人たちの親切に助けられながら)最後までなんとか旅を終えることができたことは、のちのちの 「自分で何とかできるんだ!」という自信にもつながったと思います。

 

これは私にとって大きなことでした。それまでの私は、ホントに世間知らずで自分に自信のない人間だったので・・。

 

またいつか、ふらっと海外一人旅をしたい、という思いはあるけれど、今は家族もある身ですし、そういう旅はまた別のときにとっておこうと思います。

 

今ここにいるのは、ヨーロッパを旅していた頃には想像もできなかった20年後の自分です。あの頃は、結婚のことも、ましてや自分が子どもを持つことだって想像もしませんでした。

 

旅のあと、特別ななにかを身につけたわけでもないし、すごい人生を送ったわけでもない。でも、旅に出る前とは明らかにちがう自分が、その後の人生を選択してきたと思っています。そして、その延長線上に今の自分がいる。

 

そんな、自分で選んできた人生が楽しくないわけがありません。やりたいことはまだたくさんありますしね。

 

子どもたちがあと少し大きくなったら、一緒にバックパック背負って、まだ行ったことない国を旅してみたいな〜。

 

それからいつか南極とアラスカにも行ってみたい!

 

・・ん?全部どこかに行くことですね。

 

夢を現実化するためには、言葉にすることがとても大事だそうですから、今ここで言っておくことにします(笑)。

 

家族には「ママはいつか南極とアラスカに行くからね!」と何度も宣言していますが、みんな寒いところにはあんまり行きたくないみたいなので、一人でゆっくり行こうと思っています。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

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都内の住宅街にあるワイナリー「清澄白河フジマル醸造所」

皆さんは都内にワイナリーがあるのを知っていますか?「え、そんな都会のど真ん中に??」って思いますよね。「都市型ワイナリー」と呼ばれ、じつは東京に数軒あるんです。

 

今回ご紹介するのはその中の一つ、清澄白河フジマル醸造所」東京メトロ半蔵門線都営大江戸線清澄白河」駅が最寄り駅です。駅からワイナリーに向かいますが、周りは住宅街。ホントにこんな場所にあるの??と思い始めた頃、それらしき看板が見えてきました。

見た目はごく普通のビルのようですが・・。どうやら2Fがレストランみたい。

 

レストランのドアもこんなにシンプルです。

 

でも中に入るとおしゃれな空間が広がっていました。

 

醸造所直送生樽ワイン」を頼んでみます。デラウェアで作られたオレンジ色のワイン。そして巨峰の赤いワイン。キラキラしていて綺麗!これだけでも気分は一気に上がります。

ちょうど夕方の早い時間帯で、他にお客さんはほとんどいませんでした。ちょっと隠れ家的な大人の空間です。

 

歩き回った後だったので、友人とふたり、おいしいものをつまみながらまったりとワインと愉しみました。全体的に軽めな口当たりのワインが多く、気軽に楽しめますよ♪

 

 ワイン醸造所は1Fにあり、食事をしたお客さんは見学ができます。「清澄白河フジマル醸造所」はもちろんすぐそばにブドウ畑があるわけではなく、山形、山梨、茨城、千葉の農家からぶどうを買っているのだそうです。

醸造所はごく限られたスペースなので、いわゆる「ワイナリー」というイメージではありません。逆に「え、ここで今ワインがつくられてるの??」と驚きでした。

東京生まれのワイン、ぜひ一度試してみては?

 

清澄白河フジマル醸造所】

 東京都江東区三好2-5-3

TEL 03-3641-7115

 

<営業時間>
☆レストラン 

ランチ(水~日・祝日) 11:30〜14:00(L.O.)
      ディナー 17:00~21:30(L.O.)

 

テイスティングルーム 

13:00~21:30(L.O.)


<定休日>

月曜日、火曜日(祝日の場合は翌水曜日)

 

<HP> 

https://www.papilles.net/

 

街で見つけたヘンな顔コレクション

今日は私のおもしろいものコレクションの中から、日常で見つけたヘンな顔をあつめてみました。しばしのほっこりアワーをお楽しみください。

 

【ヘンな顔~おうち編】

1.このおうち、私にはどうしてもチョビヒゲのおじさんにしか見えないんです。

 

2.これは・・恥ずかしい顔ですか??

 

3.嗚呼、月が浮かぶ美しい夕暮れの空に,Funny Faceがひときわ映える,ある水曜日・・。

 

 

【ヘンな顔~日常編】

1.これはいつも皆さんが飲んでる(かもしれない)、金麦に隠されたお顔。

 

2.え、見られてる?おかしい。単なるソフトクリームの機械のはずなのに。

 

 

3.トイレの床で見つけたヘンな顔。思わず「カシャ!」。あ、でもトイレでの撮影はちょっとデンジャラスなので、あまりおすすめはしません(;'∀')

 

4.最新の仕入れネタ!これは・・なかなかりっぱなお顔でしょう。自転車の持ち主さんに一度いろいろ聞いてみたい笑。

 

 

【ヘンな顔~番外編】

これは言わずと知れた有名なあの方、ですね。なんと、茨城のとあるカフェにある、オーナーさん手作りのピザ釜です♪

 

以上、「街で見つけたヘンな顔コレクション」でした。

 

読んでいただきありがとうございます。

 

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梅シロップのしあわせ

またこの季節がやってきた。

今年は全部、シロップにしよう。梅酒はまだたっぷりあるからね。

洗って、ヘタをとって、凍らせる。

梅と氷砂糖を交互に入れていくゆるやかな時間。

仕込む楽しみ。

 

涼やかな氷の音をたてながら梅ジュースを飲むしあわせな瞬間を、思い浮かべてみる。

 

出来るのが待ち遠しい 梅シゴト の季節。